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最高裁判所第三小法廷 昭和60年(あ)212号 決定

本店所在地

大阪市平野区流町三丁目一一番一八号

桧建設株式会社

右代表者代表取締役

桝本秀美

本籍

大阪市平野区平野上町二丁目四番地

住居

大阪市平野区流町三丁目一一番一八号

会社役員

桝本秀美

昭和一〇年一月六日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、昭和五九年一二月二一日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らから上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件各上告を棄却する。

理由

被告人両名の弁護人水野武夫の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 伊藤正己 裁判官 安岡滿彦 裁判官 長島敦 裁判官 坂上壽夫)

昭和六〇年(あ)第二一二号

○ 上告趣意書

被告人 檜建設株式会社

同 桝本秀美

右被告人両名に対する法人税違反被告事件について、上告の趣意は左のとおりである。

昭和六〇年三月二九日

弁護人 水野武夫

最高裁判所第三小法廷 御中

第一点 第一審判決は、本件において財産増減法による検察官の主張を認め、損益計算法による弁護人の立証を一切許さなかったが、これは法令の解釈を誤り、審理不尽の違法を犯すものであって、これを支持した原判決もまた同様であり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

一 財産増減法が許される場合

第一審判決は「所得計算につき財産増減法と損益計算法の二つの方法の存することは周知のところであるが、両者による所得計算の結果は、理論上は一致するものであり、法人税法上いずれかを原則とすべきものと解すべき合理的理由は存しない」(第一審判決五丁)とする。また、原判決は、「原判決は、法人の所得計算に関する右二つの方法のいずれをとるかは、「立証方法の適否の問題」であって、「いずれの方法によれば実額が正確に出るか比較検討したうえでどちらの方法によるべきかを決するのが相当である。」との基本的立場に基づき、両方による所得計算の正確度を比較した結果、本件においては財産法によるのが適切妥当であるとの結論に達したものであって、原判決の説示する右基本的見解に、法人税法等関係法規の解釈を誤った違法があるとは認められない。」と判示する。

しかしながら、右判示は、明らかに法令の解釈を誤るものである。

1 法人税法二二条一項は、「内国法人の各事業年度の所得の金額は、当該事業年度の益金の額から当該事業年度の損金の額を控除した金額とする」と規定し、同条二項以下において、右益金及び損金の額に算入すべき金額について具体的に規定している。したがって、同法によれば、いわゆる損益計算法(以下損益法という)に基づき所得金額の計算をすべきことが原則とされているのである。

2 一方、財産増減法(以下財産法という)は、所得金額の計算方法としては、あくまで例外の計算方法であり、法人税法が原則とする損益法によりえない特別の事情が存する場合にのみ例外的に認められるものである。このことは、元裁判官である松沢教授が「所得金額の算出は損益計算原理に基づくことが原則であって、それ以外の方法は、損益計算法が不可能な例外の場合に限られ、かかる考え方は租税法律主義の内容をなしているものというべく、従って、損益計算法が不可能であることは財産増減法による立証を許容するための条件をなすものと解すべきである。」と明解に解かれるとおりであり(松沢智「逋脱犯の訴追・公判をめぐる諸問題」租税法研究九-五一)、最近の多くの判例もこれを認めているのである(東京地判昭五二・八・五判時三六四-三〇七、東京地判昭五五・三・一四税資刑一一八-二四一、末尾添付の判例など)。そして、判例の傾向については、波多野教授が「当初の判例においては、損益計算法による所得額の算定と財産増減法による所得額の算定とは、理論上一致するもので、一般的に是認せられてきたというのが主たる理由であったが、しだいにそれは、損益計算法によることができず、財産増減法によることに合理的理由がある場合にこれが認められるとされてきて、更には、財産増減法による場合であっても、過年度分からの持込資産を当初の所得と誤認することのないような慎重な検討を要する、といったふうな制約が明らかにされてきているのである。」(波多野「逋脱犯の所得金額認定における財産増減法の適否」税理二六-二-二)と指摘されるとおりなのである。したがって、今日では、右のことは判例学説により承認され、も早これに反する見解は存しないと言っても過言ではないのである。

二 本件で財産法によることの違法性

第一審判決は、本件において財産法によることが許される理由として、「被告会社においては、〈1〉日々の取引の記録が存せず、〈3〉売上圧縮は帳簿上不明であり、〈3〉その他の追加工事等についてはこれを確定するに足る証拠がなく、〈4〉営業経費についても領収書等の証拠が少いことが認められ、又〈5〉このような証憑書類の不足を補うに足る供述証拠等も存しないこと」と判示している(第一審判決五丁。番号は弁護人が挿入)。そして、原判決もまた、「おおむね原判示に副う事実関係を認めることができる」と判示している(原判決三丁)。

しかしながら、右はいずれも理由がない。

1 〈1〉の点については、被告会社は必要な帳簿を備え付け、それに基づいて決算書等を作成したうえ税務申告も行っていたのであり(証三、四)、〈2〉及び〈3〉の点については、売上金額は、各種証憑類や被告人あるいは関係人の供述によって判明しうるはずであり本件においても必要な調査が行なわれており(証人篠原の第一七回証言二丁)、〈4〉の点については、経費につき領収書等の証拠が少いことは被告会社の経費を否定する根拠とはなっても財産法によるべき根拠とはなりえない。〈5〉の点については、次に述べるように、他ならぬ担当の調査官自身が損益法による計算が可能であったことを認めているのである。要するに、第一審判決及び判決が財産法によるべきだと主張する根拠は、いずれも理由がないものといわなければならない。

2 この点について、篠原査察官は、概略次のように証言している。

「被告会社についても、当然損益法による所得計算をしている。その結果、財産法による計算結果は損益法によるものより所得で何百万円程度多くなっていた。本件について財産法か損益法かどちらがより実際に近い反則金額が計算できるかはどちらとも言いきれない。損益からの調査もできる限り行い、財産法との誤差についても、なぜそういうような誤差が生じるのかについても検討している。損益法による計算の明細は役所に残っている」(同人の第一七回証言一丁ないし五丁)。

原判決は右の点について「篠原査察官が、原審公判廷おいて、被告会社の所得を損益法でも計算した旨証言していることは、所論の指摘するとおりであるが、同人は、他方において、損益法による所得計算にあたり、経費の把握が不十分で推計に頼らざるをえなかったこと、建売り住宅の追加工事、補修等の記録が全くなく、財産法によった場合と比べ正確な所得計算ができなかったとの趣旨の供述をもしているのであるから、所論指摘の点は、いずれも原判決の説示に対する的確な反論とはなりえないというべきである。」と判示する(原判決四丁裏)。

しかしながら、右証言によれば、本件においては損益法による計算が可能であり、現に行われており、財産法との間に多少の誤差は生じたがその原因についても検討ずみであることが明らかなのであって、本件において損益法により所得計算をしないことは租税法律主義に違反するものであり、前記の学説、判例にも反し、明らかに違法であるといわなければならない(しかも、本件では、損益法による計算結果の法が財産法によるものより少ないというのであるから、その違法性はより高いものである)。

三 損益法による立証を許さなかった違法性

1 仮に財産法によるものとしても、その適用は極めて慎重でなければならず、且つ、損益法による計算結果との比較検討が不可欠である。この点について小島判事は次のように述べている。

「多くの脱税事件では、会計記録が不備・不実なもので、損益法により所得を確定できない場合に、純財産増減による正しい所得の再構成方法として、財産法が用いられるのである。勿論、会計帳簿の減失・隠匿等会計証拠を不備にした責任は被告人側にある場合が殆どであろう。しかし、「疑わしきは被告人の利益」にの法理は、所得額の認定にも及ぶものである。会計記録が不備なものであっても、その不備故に被告人に不利益を与えるようなことがあってはならない。そのためには、財産法が損益計算目的に貫かれ、動態論に立脚して行われていなければならない。

すなわち、財産法は、単なる立証形式だけが備わればよいわけではなく、内容的に的確であることを要する。そこでは、原価主義に貫かれているか、簿外借入金や持込資産等はなかったか、又はないといい切るだけの立証がつくされているか、期間損益の把握に誤りはないか等々、損益計算書により誘導された貸借対照表を想定し、あらゆる疑点を逐一取上げ、その合理性を検討して、財産法立証の結果が損益法立証によるそれと一致し、少なくともそれ以上はないであろうことが確かめられなければならない」(小島建彦「直税法違反事件の研究」一六六頁)

右のように、財産法によるとしても、損益法による立証と比較検討され、その合理性が立証されなければならないのである。現に、財産法による計算を適法とする最近の裁判例においても、検察官は、査察官作成の損益計算書の取調べを請求し、あるいは損益法による所得計算をしたうえ公判廷でその結果を釈明するなど、損益法による計算結果もこれを明らかにしたうえ裁判所の判断を仰いでいるのである(末尾添付の判例参照)。

2 ところで、本件においては、「持込資産等はなかった」どころか、持込資産すなわち個人に帰属すべき現預金等が被告会社に持ち込まれていた事実は、検察官自身も認めるところなのである。したがって、小島判事の右見解によれば、検察官すら持込資産があったことを認めている本件においては、そもそも財産法による立証が許されないものなのである(もっとも、検察官及び原判決は、右の点は認めながら、その不合理は、他の勘定科目で調整しているから不当ではないなどと主張する。しかしながら、右主張が不当であることは第二点で後述するとおりである)。

3 弁護人は、第一審において、右の点を主張し、検察官に対し損益法による計算の結果とその根拠を明らかにするよう釈明してきたが、検察官はこれに応じず、第一審裁判所もまた右釈明を命じようとはしなかった。そればかりか、第一審裁判所は弁護人による損益法による立証は認めない旨宣言し、弁護人申請の右の点に関する証人調べの請求をすべて却下した。

4 検察官が主張するように、一定の場合に財産法による立証が許されるとの見解のもとに本件について財産法による立証を試みることは検察官の自由であるかも知れない。その場合でも、損益法による計算結果を明らかにし、財産法と一致するものであることを示さなければならない。ましてや、弁護人が損益法により反証を行うことは当然に許されるべきであって、検察官が一たび財産法を採用したからといって、弁護人の反証がそれに限られなければならないいわれは存しない。裁判所は双方に立証を尽させたうえで、どちらが信用すべきものか、仮により信用すべきだとしてどちらかを取るとしても、他の方法による計算結果と対比して修正すべき点がないか否かを検討するべきなのである。

5 ところが、第一審裁判所は一たび検察官が財産法による立証方法を採用した以上、財産法についての弁護人の反証は許すが損益法による反証は一切許さないとし、弁護人の証人尋問の請求はすべて却下したのであって、第一審裁判所には審理不尽の違法が存するのである。また、原判決も「本件のように、証憑書類が不備で、損益法による正確な所得計算がとうてい期待し難いため検察官が財産法による立証を行った事案において、弁護人が損益法による立証を行ったとしても、これが検察官の主立証に対する的確な反証になりえないことは明らかであるから、弁護人の損益法による反証を許さなかった原審の措置に誤りはない。」(原判決五丁裏)として第一審判決を支持しているが、これも同様の違法を犯すものである。

四 むすび

右に詳述したように、第一審判決及びこれを支持した原判決は、損益法と財産法は立証方法の適否の問題であり、いずれを取っても構わないとした点及び本件において財産法によるべきとした点において、法令の解決を誤るものであり、更に損益法との比較検討が可能であるのにこれをしなかった点及び損益法に基づく弁護人の立証を一切許さなかった点において、審理不尽の違法を犯すものであって、これを破棄しなければ著しく正義に反するものである。

第二点 第一審判決は、被告会社の財産と桝本秀美らの個人財産とを混同したまま被告会社の所得を財産増減法により算定する違法を犯しており、原判決もまたこれを維持したのであって、これは被告会社の所得額の認定を誤るものであり判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

一 検察官の主張

1 検察官の主張によれば、「中小企業に多く見られるように、法人とは言いながら個人経営の認識同然のどんぶり勘定がみられ、架空名義の預金全体は正確に把握したものの個人と法人の資金の混同が認められた」(検察官の昭和五六年六月二九日付意見書七丁裏)とされている。したがって、財産法で所得を計算しようとする場合には、資産、負債をどのようにして会社のものと個人のものとに区分するかが極めて重要且つ困難な問題となる。

2 検察官は、資産のうち預金の帰属については、「法人及び個人の資産が混入していることは事実である」とし、「預金のうち、被告法人名義及び被告法人設立後設定した架空名義、無記名、従業員名義の預金を被告法人に帰属させ、被告人及びその家族名義並びに被告法人設立前に設定された架空名義及び無記名の預金を被告人個人に帰属させることとした。」としたうえ、「右の如き形式的規律により分類することは、被告人にとって不利益ではないかとの疑念が生ずる余地もあるので付言するが、右の振分けはあくまでも被告法人の資産を算出するための便法であり別の被告法人及び被告人間の貸借勘定科目で調整することになるので、実際は右の方法によっても不公平を生ずる余地はない。したがって、本件勘定科目において、被告人及び被告法人以外の者の預金が混入しているか否かは重要な問題であるが、帰属が法人か個人かの争点は大した意味を持たない。」と主張する(論告要旨五丁)。そして、右の「別の被告法人及び被告人間の貸借勘定科目で調整する」というのは、「社長貸付金」なる勘定科目で調整するものとし、その計算の方法は第二五回公判における立証篠原の証言調書添付の「所得調査の説明書」(以下(本説明書」という)に記載のとおりだとするのである。

二 弁護人の主張

1 しかしながら、右の方法は預金につき個人に帰属すべきものと会社に帰属すべきものとを区分することに代る方法として、決して合理的なものではない。すなわち、検察官の主張によれば、本件において個人と会社との預金等が区分されず混入しているとする。このことは要するに個人の金が会社名義の預金や架空預金になりあるいはその逆があったりすることを意味する。したがって、会社名義や架空の預金のうちには個人に帰属すべきものが存することは右に引用したように検察官も認めるところである(論告要旨五丁裏)。

ところで、本説明書の計算方法によれば、まず個人収支を計算しその金額を前提に「社長貸付金」が計算されるのであるが、本説明書の個人預金受取利息には個人名義預金の受取利息のみを個人の収入として計上するのみで、会社名義や架空預金の受取利息はすべて会社に帰属するとの前提で計算されているのである。

しかしながら、個人と会社との預金の区別をするための便法として右の方法を取るといいながら、受取利息の計算に当っては元となる預金を個人を会社とに区別したうえで計算するというのはそれ事態が論理矛盾であって、不合理極まりないものであることが明らかなのである。

また、本説明書の個人収支表の個人名義借入金についても右と同様である。即ち、検察官の主張によれば個人と会社とは借入金についても混合していることになるから個人名義の借入金についても会社に帰属すべきものが存することになる。しかしながら、本説明書による計算では、個人名義の借入金はすべて個人に帰属するとの前提で支払利息の計算がなされているのであって、その点においても右計算は不合理なのである。

三 第一審判決とその違法性

1 これに対して、第一審判決は独自の「論理」で弁護人の右主張を斥けた。しかしながら、弁護人には、第一審裁判所の「論理」は到底理解しえないのであり、第一審裁判所がその問題点を正解しないまま、誤解に基づいて右のような判決をしたとしか考えられないのである。

2 第一審判決の「論理」は次のように要約されよう(第一審判決七丁~八丁)

〈1〉 法人設立後の個人名義預金の推移を見ると、別紙(四)のとおり順次減少している。

〈2〉 被告人桝本個人の収支と財産増減を検討すると、個人名義の受取利息のみで計算すると、別紙(五)のとおり、収支差額を上向る財産増加が続いており、各期不足額が生じている。

〈3〉 被告会社、架空名義の受取利息を加算すると別紙(六)のとおり、やはり、前同様不足額が生じる。

〈4〉 被告人桝本個人の収入額は、被告会社からの給料、賃料、受取利息しか存しない。

〈5〉 以上の点から考えると、法人設立後被告人桝本個人の資産が被告会社から被告人桝本に流出している。

〈6〉 従って、被告人桝本個人名義の資金が被告会社名義あるいは架空名義の預金となることは計算上ありえず、これを前提とする弁護人の主張は失当であり、検察官主張の計算方法は相当と解される。

3 まず第一に、〈1〉の点が第一審判決の論理にどう結びつくのか不明だが、第一審判決の作成した別紙(四)によれば、昭和五一年末日では前年より増加しており、「順次減少している」というのはそれ事態すでに明らかな事実誤認である。

4 〈2〉、〈3〉については、弁護人が弁論で明確に指摘したにもかかわらず、第一審判決は、個人名義借入金の支払利息の計算を故意に落としている。個人名義借入金を、受取利息について第一審判決がしたと同様の手法で会社に帰属すべきものとして計算すると、別紙Aのとおりとなり、逆に個人から会社へ財産が流出していることになる。したがって、第一審判決の右〈2〉、〈3〉の点は全く意味のない主張となる。

5 第一審判決によれば、全体として、毎期被告会社から桝本個人へ財産が流出しているから個人名義預金が会社名義預金等になることは計算上ありえないというが、仮に全体としては、毎期被告会社の財産が個人に流出していたと仮定しても、そのことから直ちに個々の名義預金が会社名義等の預金に変わることがないということにはならない。両者は理論上異なる事項だからである。

6 右に述べた諸点ですでに第一審判決の論理が破綻していることは明らかとなったが、第一審判決の右判事が何よりも根本的な間違いを犯しているのは、会社の資産が毎期個人に流出しており個人資産の持ち込みがないということから、検察官主張の金額が認められるということにはならないことである。けだし、仮に第一審判決のいうように会社の資産が毎期個人に流出していたと仮定しても、一体、「いくら」流出していたのかが問題だからである。つまりその「流出金額」が被告会社の所得計算に影響するのである。現に、第一審判決の別紙(五)と(六)とを比べて預きたい。いずれもその一番下の「差引不足額」は「社長貸付金」の増加額、即ち被告会社の所得とされる金額である。

(社長貸付金額増加額)

50/5期 51/5期

別表(五) 八、二六三 一〇、八四一

別表(六) 二、三三四 八四

(差引) 五、九二九 一〇、七五七

右に明らかなように、第一審判決自身が認めている別紙(六)で計算するならば、被告会社の所得額は、五〇年五月期で五九二万余円、五一年五月機で実に一、〇七五万余りも減少することとなるのである。

7 この点について原判決は、検察官の右計算方法は合理的なものと認められるとしたうえ、次のように判示する。

「もっとも、預金の帰属につき右のような手法を用いるときは、原判決が被告会社に帰属するものとみた預金の中に、現実には被告人桝本個人に帰属すべきものが混入したり、またその逆の場合が生ずることも、理論上これを回避しえないわけであるが(この点は、所論の指摘するとおりである。)財産法により法人の所得を認定するうえで重要なことは、期首期末の資産負債の状況から当該法人の財産の増額を的確に把握することなのであるから、被告会社の資産を構成すべき預金の帰属を被告人桝本自身が明確に区別することができない本件のような事案においては、前記のような基準によりその一応の帰属を定めたうえで、これによって生じうべき現実の会社資産との差額を別個の勘定科目によって調整することも、その結果算出された所得類が被告会社の現実の所得額と合致するものである限り、所得計算上許容されるものといわなければならない。」(原判決七丁)

しかしながら、原判決の右判示も到底首肯しえない。けだし、現実の所得額を算出するために用いた検察官の計算方法が論理上正しいのか否かが問題にされている事案において、「(検察官の計算方法により)算出された所得額が被告会社の現実の所得額に合致するものである限り所得計算許容される」などというのはこれまた論理上成り立ちえない議論だからである(現実の所得額に合致するならばどのような方法でもよいことは明らかである。問題はどうすれば現実の所得額が算定しうるかなのである)。

8 更に原判決は右に続けて、次のように判示する。

「たしかに、被告人桝本の個人財産がその純収入を上回る増加を続けているからといって、そのことから直ちに、被告人会社名義又は架空名義の預金の中に、実質的には被告人桝本個人に帰属すべきものの混入することが、計算上ありえないということにはならないこと、また、原判決添付の別紙(四)表によれば、被告人桝本個人名義の預金高は、必ずしも逐年減少しているとはいえないことなどの点は、所論の指摘するとおりであり、これらの点に関する原判決の説示には、やや措辞適切を欠くものがあるが、そのことの故に、被告人会社の所得に関する原判決の前記のような計算方法及びその結論が誤りであるということにはならないのであって、所論にかんがみ記録を精査しても、原判決に、所論のいうような基本的な誤りがあるとは認められない。」(原判決八丁)

右判示から明らかなように、原判決も原審弁護人の主張については「所論の指摘するとおりである」と認めている。それならば、第一審判決の論理が成り立ちえないものとなる道理である。ところが原判決は、「原判決の説示にはやや措辞適切を欠くものがあるが」と判示しながら、結果として原判決の計算方法を認めているのである。

しかし、事は措辞の問題ではない。論理の問題なのである。原判決の右判示は、原審弁護人の主張を認めながら第一審判決の計算方法を認めた点において、明らかに矛盾が存するのである。

9 更に原判決は、原審弁護人が、第一審判決は被告人桝本の個人資産の増加と純収入とを比較するにあたり、同被告人個人名義の借入金の支払利息を同被告人個人の支出として計算しているが、これは何ら根拠がないものであり、これとは逆に個人名義借入金の支払利息を被告会社に帰属すべきものとして計算すると、その分だけ被告人桝本の個人支出が減少し(すなわち、純収入が増加し)、純収入の増加が財産増加額を上回ることになるので、むしろ、個人財産が会社に流入していることになるとして、控訴趣意書添付の別紙A表を援用している点について、次のとおり判示する。

「しかしながら、原判決は、借入金についても、預金の場合と同様の基準によって、被告会社に帰属すべきものと被告人桝本に帰属すべきものとの一応の振分けをしたのち、被告人桝本個人に帰属するものとした同被告人個人名義の借入金の支払利息を同被告人個人の支出として計上しているのであり、右振分けが一応のものであって、必ずしも実態と完全には符合しないにしても、のちに別個の勘定科目によって適切な調整を行う限り被告会社の財産の増額の認定に何らの径程を来たさないことは、預金に関する場合と同様であると認められるので、個人名義借入金の支払利息を被告人桝本個人の支出として行った原判決の計算方法に、所論のいうような重大な誤りがあるとは認められない。」(原判決九丁)

しかしながら、「のちに別個の勘定科目によって適切な調整を行う限り」は原判決のいうとおりであるが、第一審判決の説明にもかかわらず、検察官主張の方法は論理上適切な調整になりえないとの原審弁護人の主張に対して、原判決は何も答えていないのである。

また、原判決は、右に続けて原審弁護人の主張に対し次のとおり判示する。

「(弁護人の援用する控訴趣意書添付の)A表のように、受取利息は預金の名義のいかんを問わずすべて被告人桝本個人の収入とみなし、支払利息は借入金の名義のいかんを問わずすべて被告会社の支出とみなしたうえで、純収入と財産増加額とを比較した結果、純収入が財産増加額を上回っているからといって、そのことから直ちに、被告人桝本の個人財産が会社財産に流入しているということにならないことはいうまでもないことである。)」(原判決九丁裏)

しかしながら右判示も全く肯首しえない。純資産が財産増加額を上回っているならば、被告人桝本の個人財産が会社財産に流入したことになるのは明らかだからである。

現に原判決は、「被告人桝本の個人財産が同人の純収入を上回って増加しているとすれば、その分だけ被告会社の財産が被告人桝本個人の財産に流入していることになる筋合である」(原判決六丁裏)と判示しているであって、原判決はここでも明らかに矛盾した論理上成り立ちえない判示をしているのである。

10 右に詳述したように、第一審判決は、本件における当初からの最大の争点について、検察官及び弁護人の主張を正解せず、検察官も主張していない論理上全く不可解な独自の「論理」により検察官主張の金額を認定したのであって、到底維持されえないものであることは明らかである。更に、第一審判決を指示した原判決も、右に見たように到底原審弁護人の控訴趣意に答えたとはいいえず、論理上明らかに矛盾した理由を上げているのである。

この問題は、究極的には事実認定の問題ではあるけれども、直接的には論理の問題であって、このような問題は上告審がその指導性を発揮して訂正されるべきものであると思料する。

右のように、第一審判決及びこれを維持した原判決が事実を誤認するものであることは明らかであり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものというべきである。

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